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3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
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写真は2年前の今日、津波により流された私の実家。
震災後、初めて行った時には、後ろの車は、奥の平屋建ての家の屋根に乗っかっていた。
それが、遺体捜索で壊されたのか、次に訪れた時には、ここに移動されていた。
小高い丘の上に家が見えるが、ここに上った人たち十数名の命は助かったそうだ。
海側は県内屈指の海水浴場だ。
そこから津波と一緒に相当の砂が流れ込んできている。
本当は、もっと高い丘なのだ。だから、助かったのだ。
この家は、奥の車が乗っかっていた平屋建ての家のおじさんが、定年退職後に自分で建てたと聞いている。
しょっちゅう大声で、家族を呼ぶ人で、近所から変人扱いされていた。
退職すると、この山を購入し、自分で家を作りだしたから、ますます変人扱いされ、誰からも相手にされてなかったようだ。
しかし、亡くなって何年も過ぎて、この家は、多くの人の命を救った。
人間は、死んでもなお、人を救うことができるのだと、学んだ。
姉は、亡くなった祖父から
「津波が来たら金山(かねやま)に逃げろ」
と聞かされていたそうだ。私は幼くその記憶はない。
そして、叔母たち家族は、金山に逃げて助かった。
祖父もまた、死んでもなお、自分の孫たちの命を救ったのだ。
001
















今日の、仙台市若林区の沿岸部の様子。
家々は、解体され綺麗に片づけられ何もない。
防潮堤のかさ上げ工事が進められている。
車をUターンしようと、入った場所には、飲み物が手向けられていた。
ここにあった家の方も犠牲になったのだと知ることができた。
「どうかご遺族の方々に、神様の慰めがありますように。」
あの日、あの時、どこにいたか。どう行動をとったかで、生死は分かれた。
今日、生かされていることは、当たり前ではないのだと再確認する。
犠牲者の方、ご遺族の方を思うと胸が苦しくなる。
しかし、多くの方が犠牲になってくださって、私は生かされている。
そう再確認する。3月11日は、一生そう再確認する日。
3月11日14時46分は、被災地では、子供でも知っているあの日あの時なのだ。

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
       新約聖書 ローマ人への手紙 12章15節」